弥生時代中期末の巨大な掘立柱建物跡の出現が、卑弥呼時代の勢力分布や年輪年代法の解釈、開発と遺跡保護をめぐる論争を再燃させている。
スレ本文抜粋
滋賀県野洲市の中畑・古里遺跡で、弥生時代の近畿最大級とされる掘立て柱建物跡が発見された。築造時期は土器から西暦0年前後(弥生時代中期末)と推定される。
建物は長辺18.0メートル(柱の間は5間)、短辺7.0メートル(同1間)で床面積は126平方メートル。広縁の柱穴を含めると面積は147平方メートルに及ぶ。国内有数の環濠集落で復元された133平方メートルの「いずみの高殿」に匹敵する大きさだ。
発見地は計24個の銅鐸が埋納された地点にも近く、三上山を望む祭殿だった可能性も指摘されている。
注目されたのは柱穴の特徴で、すべて外側から内側へ傾斜しており、長大な柱を斜路に落とし込み引き起こすための構造と考えられる。この類例は近隣の伊勢遺跡で見られる「伊勢型」と一致し、伊勢型は梁間1間・桁行4~6間で柱穴に段状構造やスロープを備える点が特徴とされる。
弥生土器には長い柱の上に大きな屋根を持つ建物が多く描かれ、住居ではなく倉庫や祭殿であったと推測される。伊勢遺跡の年代研究では存続期間を西暦80年頃から180年頃と推定する見解が示され、卑弥呼共立期に廃絶した可能性が指摘されている。
これらを踏まえ、琵琶湖南部が弥生後期に広域を主導したという見方や、王権誕生前夜における「近江の時代」論が改めて論点になっている。


5chの反応
直径1メートルじゃん!
で、結局商業施設は遺跡ぶっ潰して建てるの?
精度が1年未満の年輪年代法か……結局、あれどうなったんだろうな? ちゃんと検証は進んでるのかね?
例えば 福岡安徳台弥生・縄文で縄文遺伝子が20%しかなかったって本当? AI その「20%」は、安徳台の事実として確定した数字ではない可能性が高いです 。安徳台遺跡の弥生中期人骨は「渡来系弥生人Ⅰ」で、西遼河系+在来(縄文)系の核ゲノムをもつと整理されています SNSや動画では、研究の複雑な内容が「縄文遺伝子20%」のように単純化されて紹介されることがあります 。ただし、安徳台の個体は混血が進んでいたとされ、縄文成分はあるものの、割合は1つに固定できない、というのがより近い理解です 。
滋賀県でのオルドス式銅剣の鋳型は2013年に発見されている。 が、オルドス式銅剣そのものはなく、九州の学者は「製作に失敗した」と述べていた。 が、今回は鋳型ではないようだ。 滋賀県では、稲部遺跡など、卑弥呼時代の鍛冶炉工房など重要な物が多数発見されている。 (滋賀県稲部遺跡の鍛冶炉工房は23棟と発表されているが、確定なら日本最多。九州では八女市西上ノ山遺跡の5棟が最多。現在確実に最多なのは淡路島五斗長垣内遺跡の12棟) また、伊勢遺跡は纒向に先行しており、滋賀県は特別な場所であったことは間違いない。
纒向で考えます。 1→クリア 2→超大国纒向ヤマト王権の王位継承戦争なのでクリア 3→鉄鏃はホケノ山で80点出土。 黒塚古墳→「刀 3 ・剣 2 ・ヤリ 13 ・刺突具 2 ・U字形鉄製品 1 ・甲冑小札 約1700(実数1100) ・小札革綴冑など ・鉄鏃270以上 ・刀子12 ・鉄斧10 ・鉄鎌3 ・鉇9 ・直刀 16 ・Y字形鉄製品 2 ・有機質製品 2 ・素環頭大刀4 ・刺突具 1 ・不明鉄器 1 」 123全てクリア なお、絹は縫い目のあらい九州の弥生絹ではなく、畿内の絳青縑が有力
徳島や兵庫に鏡が運ばれただけ?
大切なのは九州最大である奴国2万戸を上回る国が九州のどこにも見出せないこと。 それでは、投馬国5万戸と邪馬台国7万戸はどこにありますか?
まあ、やっまたいこくひみこと習うのでしかたないが 先に進まないよ 文献主義では限界がある なんで学者は頑ななのか、歴史学者は左の人?
>筆者の弥生時代・古墳時代の時期区分と年代観を示した上で、邪馬台国が畿内にあるとの見解を示した。 先にも記したが、九州にその候補となる遺跡はみあたらないばかりか、邪馬台国を指し指し示す考古学的証拠は九州にほとんど無いといえよう。 考古学的には邪馬台国所在地論はすでに解決をみたといって良いのである。 『卑弥呼と女性首長』清家章(岡山大学教授)2021年
