スレ本文抜粋
滋賀県高島市安曇川町田中の上御殿遺跡で、弥生時代後期末から古墳時代前期にかけて(2世紀後半~3世紀前半)の鍛冶炉を有する竪穴建物跡が見つかった。
大型円形の2棟の建物跡から炉が6つ確認され、湿気避けのため床面より数センチ高くかさ上げされている。
炉の周囲は焼土の被熱痕が同心円状に広がり、火力を強化する構造の可能性がある。
2棟からは丹後や北陸、湖南の外来系土器も出土し、活発な人的交流がうかがえる。
令和6年10月からの調査では弥生後期から古墳時代前期の竪穴建物跡約20棟が出土し、女王・卑弥呼が活躍した時代の交流拠点だったことを裏付ける成果が得られている。
平成25年には中国・華北や内モンゴルに分布するオルドス式短剣に酷似した双環柄頭短剣の鋳型が出土し、日本海を介した中国大陸との交易の可能性が指摘された。
大阪府立弥生文化博物館の館長は、上御殿遺跡が湖西における金属器生産の拠点であったと考えられると話している。


5chの反応
敦賀港って、大昔から大陸との接点だったのだろうなあ
また邪馬台国畿内説の傍証が出たか 北九州もがんばれよ
もしかして邪馬台国って琵琶湖に沈んたのでは…(´・ω・`)
しかし、銅の剣なんて武器として役にたったのか? つくるのに手間かかるわりに斬れるわけでなし強度も低い 固い木の棍棒の方がマシでは
あそこの古墳からは半島系の冠が出ていて、継体天皇の父方が埋葬者だろうといわれている 北陸と琵琶湖の水運で半島と直接交流があるし、水が豊富だから製鉄などにも有利だろう 安曇川だから安曇族で海人族の拠点でもある
邪馬台国は滋賀だったか 琵琶湖の底かもしれんな
鴨稲荷山古墳 6世紀前半の築造とされる。滋賀県内で唯一、刳抜式の家形石棺を 持った古墳で、大伽耶や新羅の影響を受けた多数の豪華副葬品が出土 任那日本府 478年には順帝が倭王武(雄略天皇に比定される)に 「使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」 の号を授け、武は上表文で「開府儀同三司」を自称したと記述されている。 532年の任那加羅(金官加羅)滅亡後は安羅に軍事機関を移したが、 562年の大加羅の滅亡で拠点を失ったとしている。
まぁねヤマタイ国と関係ないかもしれないね これが直ちにヤマタイ国がどこにあるという話に繋がるものではないな ただ九州のヤマタイ国もいつまでも同じルートに固執してないで オリジナルの文化流入を考察した方が良いよ
これすごい発見だよ ヤマタイ国ファンの人は大抵分野外だから興味ないかもしれないけど オルドス式銅剣は沿海州では見つかってる だから確実に日本海ルート そしてさらにすごいのは日本で見つかってるのが模倣品ということ これはむしろ技術が伝わったということなので 物が伝わるより上
日本の場合は鉄器が割と早い時代に入ってきたから青銅の剣や鉾は主に祭司用
卑弥呼より前の時代、魏志倭人伝には男王の時代だったとある 弥生時代後期、奈良は龍の絵画土器、鳥装のシャーマンの絵画土器、巨大なヒスイの勾玉、銅鐸の時代だった 勾玉の原型は縄文時代の玦状耳飾りと考えられている 同じ時代畿内の大阪は鳥形、龍の絵画土器、石棒、巨大なヒスイの勾玉、銅鐸が流行していた 石棒は旧石器時代に始まる文化だ
これが沿海州関係とすると イズモも同じ勢力圏かと思う そうすると中華通交圏の九州とは対立線が引かれそう イズモ九州戦争か
まとめ
上御殿遺跡の発見は、邪馬台国時代の地域間交流や金属器生産の実態を知る貴重な手掛かりとなり、今後の研究に期待が高まっている。
