畿内説を示す学者の解釈に対し、魏志倭人伝の距離表記や称号の読み方を巡る学術的対立と、ムー大陸などの奇抜な反論が並走して反応を呼んでいる。
スレ本文抜粋
卑弥呼が治めたとされる邪馬台国。その場所を巡っては今も多くの説があります。
魏志倭人伝に記された倭国の位置
魏志倭人伝が「三国志」の一部であり、そこに書かれた倭国の位置は実際とは大きく異なると指摘される。
魏と卑弥呼の邪馬台国は、実に密接なつながりを見せている。魏の皇帝・曹芳は、卑弥呼に称号を与えたと記録されている。
詔書を下して倭の女王に報じて曰く『親魏倭王の卑弥呼に制詔す。我、甚だ汝を哀(いつく)しむ、今、汝をもって親魏倭王と為し、金印紫綬を仮し、
親魏倭王。つまり「王」という身分、そしてその称号が刻まれた金印まで贈ったと記録に残っている。
親魏、魏に親しむと書くわけなんですけど、その皇帝というものに次ぐのは王なんですね。異民族にあげる王というのは国内の王よりも一歩下がるわけではありますが、その王という称号をもらっている
当時の中国の身分は上から皇帝、王、公、侯、伯、子、男と続き、卑弥呼は上から2番目の好待遇だったとされる。
朝鮮半島の帯方郡から狗邪韓国を通り、現在の長崎県対馬まで8000里余り。対馬から壱岐までが1000里ほどで、帯方郡から邪馬台国までは1万2000里。魏志倭人伝には距離だけでなく日数まで記録されている。
方角や距離が実際に合わないため、九州説と畿内説で長年論争が続いてきたが、渡邉教授は伊都国に置かれた大率が中国の「刺史」に相当すると読むことで、首都圏ではない地域、つまり畿内説が有力になると述べている。
ということになると、他の考古学的な調査を見ると、畿内以外はあり得ないなと私は考えるということです


5chの反応
魏志倭人伝に投馬国まで水行20日、邪馬台国まで水行10日、陸行1ヶ月って書いてあるだろ? つまり邪馬台国は太平洋の真ん中、ムー大陸にあったってことだよ
投馬国5万戸はどこ?
そもそも、魏志倭人伝は 約1世紀の日本の歴史の話 約1世紀もあんだから 勢力範囲やら国の数やら変わるのは普通 劉備だって 最初は北の方へ居て そのあと徐州、荊州、入蜀と動いてるんだからw
福岡・糸島市立伊都国博物館 令和5年特別展『ヤマトと伊都国』 その刊行本『ヤマトと伊都国・邪馬台国畿内説のゆくえ』より ↓ 結論 「これらの考古学的事象を踏まえるならば、現段階では、纒向遺跡が邪馬台国の中心集落の最有力候補と考えられるのではないだろうか。」 以上、福岡県糸島市立伊都国歴史博物館=邪馬台国大和説。
魏志倭人伝の記述では、伊都国で使者たちが足止めされていて、一大卒という 監察機関もあるようだから、必ず伊都国に立ち寄らないといけなかったのかも しれないとは思う。で、そこから船を出すのに、簡単には渡れそうにない玄界灘を 避けて陸行で不弥国まで行き、そこの港から奈良や長野への水行を始めた…… というのも苦しいけれど考えられないこともないような気がしないでもない。
だからそもそも魏志倭人伝の方角もあやしいから、南を東と間違えたのかもしれないし。 私は九州説だけど、不弥国(宗像あたり)から水行二十日で投馬国(出雲)、そこから 水行十日で鳥取(あるいは城崎)付近に上陸して、そこから陸行一月(山陰道)で奈良 まで……というのも考えられないこともないとも思うよ。
静岡松林山古墳で出土した三角縁神獣鏡と、河北省易県出土の方格規矩鏡の銘文が完全一致。 「吾作明鏡勘独奇保子宜孫富無訾
邪馬台国も倭の五王も全部出鱈目だってw いい加減気付けよwww これらの記載を無視した方がよっぽど辻褄が合うんだからw
